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消えた城!!???帰雲城!!!!!!!

帰雲城(かえりぐもじょう)跡。
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ここは、1586年(天正13年)に起きた大地震で、山崩れが起きて、城もろともすべて、埋没してしまった場所なんですね。




埋蔵金伝説もあるので、土を掘れば、お金がザクザク出てくる等と、夢を抱いてしまいそうになりますね^^;





そうそう1586年のこの大地震。実は有名な話で、ポルトガルから来た、キリスト教宣教師、ルイス・フロイスも、「日本史」の中で、この地震の状況を詳しく書いています。





その中でも、興味深いのは、「岐阜の極めて著名な城(おそらく大垣城)が、一夜のうちに無くなってしまった。」とか、「長島、伊勢に向かう途中あたりに大きな大穴が開いて、どのくらい深いか、穴に向かって、鉄砲を撃ったら、地に当たる音が聞こえないくらい深かった。」




他にも、「余震が何日何日もずっと続いた。」など、今の我々も知っておかなければならない事が沢山書かれてあるんですね。




近い将来、必ず来る、濃尾大地震、もしくは、東海大地震に備えるのは、今かも知れませんね。
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松倉城☆木下藤吉朗(秀吉)、墨俣城、築城に使用!



松倉城は、秀吉が、墨俣城、築城の際、中継地点として、利用したとされている。

木曽川上流にある山で木材を切り、川に流し、ここ松倉で、一旦陸揚げし、加工してから、墨俣に流したとされている。

松倉城の搦手(裏側)。神明神社。
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松倉城、鬼門に相対する神社と書かれている。すなわち、松倉城の搦手(裏側)じゃないだろうか。
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石碑には、「美濃国、羽島郡、松倉の郷、鎮座」という文字が見受けられる。
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松倉城のご神木。
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下の図を見ても分かるように、松倉城は、墨俣城、築城の拠点となった事は、間違いない。
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墨俣城に関する記事は、こちら。

http://maedakeiji0000.blog23.fc2.com/blog-entry-26.html






鷺山城☆信長の義父、斉藤道三、隠居の城!

鷺山城(さぎやまじょう)は、斉藤道三(さいとうどうさん)の隠居の城である。

ちなみに、斉藤道三の娘は、帰蝶(きちょう)といい、信長の正室(奥さん)である。

つまり、道三は、信長の義父である。

そんな、道三は、稲葉山城を息子の斉藤義龍(さいとうよしたつ)に譲り、鷺山城(さぎやまじょう)に隠居した。



鷺山城(さぎやまじょう)の入り口は、わかりにくく、山の東にある、この神社から入っていく。
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神社の裏にある、この階段が、鷺山城への入り口だ。
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鷺山城、山頂へと続く階段。 非常に急勾配であり、少し危険だ。
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これが、鷺山城の中腹である。
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鷺山城、中腹にある石碑。なぜか、倒壊していた。
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そして、ようやく本丸だ。
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ここに、斉藤道三は、住んでいた。
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鷺山城から見た、稲葉山城(今の岐阜城)。道三は、息子、義龍をこのように眺めたのか。。。
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その後、道三は、後継者の問題で、息子の義龍に疑心を抱かれ、親子で戦う事となる。

俗に言う、「長良川の戦い」である。

この戦いに道三は敗れ、崇福寺の門前で、その生涯を閉じた。

こちらが崇福寺である
1259412354222.jpg

その後、義龍は、幾度となく侵攻してくる信長をことごとく撃退。

なかなかの素質はあったが、35歳で病死した。

テーマ : 史跡・歴史的遺物 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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